【ブログ】 大阪市此花区の歴史|水運の町から工業・観光の町へ
私たちが拠点を置く大阪市此花区。
現在では「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)」のある街として知られていますが、実は此花区には、古くから水運や港、工業と深く関わってきた歴史があります。
今回は、そんな此花区がどのように発展してきたのか、その歴史を簡単にご紹介します。
大阪市此花区の歴史|水運の町から工業・観光の町へ
昔の此花区は「水運の町」でした
現在の此花区周辺は、淀川や安治川、大阪湾に囲まれた、水と非常に縁の深い地域です。
江戸時代には、現在の伝法周辺が船の出入りする場所として栄えていました。
当時、西日本各地から大坂へ向かう船は伝法川などを通って大坂市中へ向かっており、幕府は1620年(元和6年)に現在の梅香付近に「大坂船奉行所」を設置しました。
船の通行を管理するだけでなく、西国の大名などの動向を監視する役割も担っていたとされています。
また、1684年(貞享元年)には河村瑞賢によって安治川が開削されました。
これによって船が安治川から直接大坂へ入れるようになり、それまで盛んだった伝法川を利用する船は次第に減少していきました。
このように、現在の此花区は、古くから「水運」が街の発展に大きく関わっていた地域だったのです。
明治時代になると「工業の町」へ
明治時代に入ると、此花区の歴史は大きく変わっていきます。
水運に恵まれた立地を生かして、工場が次々と建設されるようになりました。
その代表的な存在の一つが「大阪鉄工所」です。
1881年(明治14年)、英国人E.H.ハンターによって現在の西九条付近に大阪鉄工所が設立されました。
大阪鉄工所は、その後、桜島へ移転。造船業を中心に発展し、現在の日立造船へとつながっていきます。大阪市も、大阪鉄工所について「大阪における洋式造船業発展の基礎」と紹介しています。
現在の西九条にある「大阪鉄工所跡」は、こうした此花区の工業史を伝える場所の一つです。
大正時代には大規模な工業地帯へ
大正時代に入ると、此花区周辺ではさらに大規模な開発が進みました。
大阪湾に面した立地を生かして土地の埋め立てや工場用地の整備が進められ、住友系企業をはじめとする大企業が進出。
住友グループの歴史資料によると、島屋・恩貴島周辺では工場用地の開発が進められ、金属、電線、化学などの工場が進出しました。
また、現在の此花区島屋周辺には住友伸銅場などの工場も建設され、此花区は大阪を代表する臨海工業地帯へと発展していきました。
この頃から、此花区は「工場で働く人々が暮らす街」としても発展していくことになります。
「此花区」という名前ができたのは1925年
現在の「此花区」が誕生したのは、1925年(大正14年)です。
当時の北区と西区の一部を合わせて新しい区がつくられ、その際に「此花区」という名前が付けられました。
この名前の由来として有名なのが、
「難波津に咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花」
という古歌です。
この歌に登場する「この花」から「此花区」と名付けられたと、大阪市では紹介されています。
ちなみに、現在の此花区には「春日出」「梅香」「伝法」「酉島」「北港」など、歴史を感じさせる地名がたくさん残っています。
例えば「常吉」は、1834年(天保5年)に常吉庄左衛門が開発した「常吉新田」に由来するとされています。
また「梅町」は桜島町地先の埋立地に由来するなど、地名からもこの地域の開発の歴史を知ることができます。
戦後も「工業の町」として発展
戦争による被害や水害などを経験した此花区ですが、戦後になると再び工業地帯として復興していきます。
住友電工、住友金属、住友化学、日立造船、大阪ガス、汽車製造など、多くの企業が進出し、重化学工業を中心とした臨海工業地帯として発展しました。
こうした工場では、金属や機械、化学製品など、さまざまな製品が作られました。
現在、私たちが当たり前のように使っている製品や機械も、こうした大阪の工業発展と無関係ではありません。
そして、工場や機械があれば、そこには機械を円滑に動かすための「潤滑油」や「グリース」も必要になります。
工業の町から「新しい此花区」へ
1980年代頃になると、日本の産業構造が変化し、海外への生産拠点移転なども進みました。
此花区でも工場の縮小や移転などが進み、広い工場跡地が生まれるようになります。
そこで大きく姿を変えるきっかけとなったのが、「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)」です。
大阪市は1990年から此花区西部臨海地域への誘致を進め、1994年にUSJの進出が決定。
そして2001年3月31日、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンが開業しました。
「水の町」から「工業の町」、そして「観光の町」へ
こうして歴史を振り返ってみると、此花区は時代とともに大きく姿を変えてきたことが分かります。
江戸時代:水運・港の町
↓
明治~大正時代:工場が集まる工業の町へ
↓
昭和時代:大阪を代表する臨海工業地帯へ
↓
平成~現在:工業と観光が共存する町へ
現在の此花区には、USJのような観光施設がある一方で、今でも工場や物流施設などが多く存在しています。
また、伝法や西九条などには、昔の街の歴史を感じさせる史跡も残されています。
大阪市の「区内の史跡案内」では、大阪鉄工所跡、初代大坂船奉行所跡、伝法水門、鴻池組旧本店洋館、安治川隧道など、さまざまな歴史スポットが紹介されています。
地域の歴史を知ると、街が少し違って見える
普段何気なく通っている道路や、見慣れた建物、町の名前にも、その土地が歩んできた歴史が隠れています。
「西九条」「伝法」「桜島」「島屋」「春日出」など、現在の此花区に残る地名の一つひとつにも、土地の開発や水運、工業の歴史が刻まれています。
私たちも此花区に拠点を置く企業として、地域の歴史を知り、地域に根差した企業として仕事を続けていきたいと考えています。
今回は、そんな「大阪市此花区の歴史」を簡単にご紹介しました。
皆さんも此花区を訪れたり、街を歩いたりする機会があれば、「この場所には昔どんな風景が広がっていたのだろう?」と少し想像してみてはいかがでしょうか。
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